ベトナムで事業を営む、あるいはベトナム企業を買収する際、避けて通れないのが会計基準の問題です。ベトナムには独自のベトナム会計基準(VAS:Vietnamese Accounting Standards)があり、国際会計基準(IFRS)とは多くの点で差異があります。日本本社への連結報告や、M&Aにおける財務評価では、この差異を理解し、適切に調整する必要があります。さらに、ベトナムはIFRSへの移行を段階的に進める方針を示しており、この動向は中長期の財務報告体制に影響します。本稿では、VASとIFRSの差異、移行の方向性、実務対応を整理します。
VASとは ― ベトナム独自の会計基準
ベトナム会計基準(VAS)は、ベトナムで事業を行う企業に適用される会計の枠組みで、財務省が定める会計制度に基づいて運用されます。VASは国際会計基準を参考にしつつも、ベトナム独自の規定や、税務との結びつきが強い点に特徴があります。勘定科目体系(統一勘定科目表)が定められ、帳簿の様式や財務諸表の形式が規定されているなど、実務の細部まで制度的に定められている面があります。
VASの重要な特徴の一つが、会計と税務の距離の近さです。会計処理が税務上の取り扱いと密接に結びついており、税務申告のために会計が行われるという側面があります。このため、経済的実態を重視するIFRSの発想とは異なる処理がなされる場面があります。進出企業は、現地法人の帳簿はVASに基づいて作成しつつ、本社報告のためにIFRSや日本基準への組み替えを行う、という二重の対応を求められることが一般的です。
VASとIFRSの主な差異
VASとIFRSの差異は多岐にわたりますが、実務上影響が大きい論点がいくつかあります。第一に、公正価値(時価)の取り扱いです。IFRSは金融商品や投資不動産などで公正価値評価を広く用いますが、VASは取得原価主義の色彩が強く、公正価値の適用範囲が限定的です。第二に、減損の考え方です。資産の減損や引当金の計上について、IFRSの方が経済的実態に基づく見積もりを重視する傾向があります。
第三に、リースや収益認識、金融商品の処理など、IFRSが近年導入した詳細な基準について、VASとの差が生じる領域があります。第四に、連結や企業結合の会計処理にも差異が見られます。これらの差異は、同じ事業活動であっても、VASとIFRSで報告される利益や資産・負債の金額が異なることを意味します。本社が連結財務諸表をIFRSや日本基準で作成する場合、現地法人のVASベースの数値を組み替える調整作業が必要となり、この差異の把握が連結報告の精度を左右します。

▲ VASとIFRSの差異が報告に与える影響度のイメージ(概念図)。

IFRS移行ロードマップの方向性
ベトナム政府は、会計基準を国際的な慣行に近づけるべく、IFRS導入のロードマップを示しています。方向性としては、まず一部の企業(上場企業や大企業、外資企業など)が任意でIFRSを適用できる段階を経て、将来的に一定の企業群にIFRS適用を求めていくという、段階的な移行が想定されています。同時に、VAS自体もIFRSの考え方を取り込みながら更新を進めるという、二つの流れが併存しています。
移行は一足飛びには進まず、企業の準備状況、専門人材の育成、関連制度の整備といった条件が整うのに応じて進展します。進出企業やM&Aの買い手にとって重要なのは、「いずれIFRSベースの財務報告が求められる方向にある」という大きな流れを認識し、自社の財務報告体制をその方向で整えておくことです。本社がすでにIFRSや日本基準で連結している企業にとっては、現地のIFRS適用が進むことで、組み替え調整の負担が軽減されるという利点も期待できます。

M&Aにおける会計の論点
ベトナム企業を買収する際、対象企業のVASベースの財務諸表をそのまま信じることはできません。財務デューデリジェンスでは、VASとIFRS(または日本基準)の差異を調整し、経済的実態に即した財務像を把握する必要があります。たとえば、減損が適切に認識されているか、引当金が十分か、公正価値で評価すべき資産が取得原価のままになっていないか、簿外の負債や偶発債務がないか、といった点を精査します。
さらに、オーナー系企業では、会計と税務の近さゆえに、税務上の都合で利益が調整されていることがあります。正常収益力を把握するには、こうした調整を解きほぐし、事業本来の収益力を見極める作業が欠かせません。買収後は、対象企業の会計をVASで維持しつつ、本社連結のための組み替え体制を構築する必要があります。会計基準の差異は、バリュエーション、表明保証、買収後の財務管理体制のすべてに影響する、M&Aの重要論点です。
財務報告のタイミングと開示
ベトナムでは、企業に対して定期的な財務報告が求められます。年次の財務諸表に加え、四半期や月次での税務申告・報告があり、これらを期限内に正確に提出することが、コンプライアンスの基本となります。報告の遅延や誤りは、加算税や罰則の対象となり得るため、報告のスケジュールを管理し、正確な数値を適時に作成できる体制が重要です。会計期間や報告の様式には所定のルールがあり、これに沿った運用が求められます。報告は単なる義務ではなく、企業の財務状況を正確に把握し、経営判断に活かすための情報基盤でもあります。
外資企業にとっては、現地での報告に加え、本社グループへの報告のスケジュールも調整する必要があります。現地の会計期間や報告期限と、本社の連結スケジュールを整合させ、効率的な報告プロセスを構築することが、グループ全体の報告品質を高めます。現地報告と本社報告を別々に行うのではなく、一連の流れとして設計することで、二重の負担を避け、整合性を確保できます。財務報告の体制づくりは、設立初期から計画的に取り組むべき課題であり、後から整えようとすると非効率や混乱を招きます。
会計と税務の結びつき ― VAS特有の論点
VASの大きな特徴である「会計と税務の近さ」は、実務上さまざまな影響をもたらします。会計上の費用が、税務上の損金として認められるための要件(適格なインボイスの保存、支払いの実在性、事業関連性など)を満たさないと、損金算入が否認されることがあります。このため、会計処理を行う際には、常に税務上の取り扱いを意識する必要があります。日本の感覚で「会計上は費用だから当然損金になる」と考えると、現地では損金不算入となって想定外の税負担が生じることがあります。
また、減価償却の方法や耐用年数、引当金の計上、貸倒れの処理などについて、VASと税務のルールが細かく定められており、これに沿った処理が求められます。経済的実態に基づく見積もりを重視するIFRSと異なり、VASと税務は形式的な要件や定められたルールに従う傾向が強いため、判断の余地が小さい反面、要件を満たさないと認められないという厳格さがあります。会計処理の一つひとつが税負担に直結するという意識を持つことが、ベトナムでの会計実務の要点です。
内部統制と監査 ― 信頼できる数字の基盤
正確な財務報告の前提となるのが、内部統制と監査の体制です。ベトナムでは、一定の企業(外資企業を含む)に対して、独立した監査人による年次の財務諸表監査が義務づけられています。監査を受けることは、財務諸表の信頼性を担保するだけでなく、社内の会計処理の適切性を点検する機会ともなります。外資企業にとっては、監査済みの財務諸表が、本社報告、税務、配当送金などの場面で必要となるため、監査対応は重要な実務です。
内部統制の整備は、不正やミスを防ぎ、信頼できる数字を作る基盤です。オーナー系企業を買収した場合、内部統制が未整備で、現金管理や承認プロセスが属人的になっていることがあります。買収後に、職務分掌、承認権限、現金・在庫の管理、会計処理のルールを整備することが、財務の信頼性を高め、不正リスクを抑えるうえで不可欠です。内部統制の高度化は、PMIの重要な課題であると同時に、現地の自律的な経営を支える土台となります。
実務対応 ― 二重帳簿管理と人材
進出企業が直面する実務的課題は、VASに基づく現地報告と、本社基準に基づく連結報告という「二つの会計」への対応です。現地ではVASに準拠して帳簿を作成し税務申告を行う一方、本社にはIFRSや日本基準で組み替えた数値を報告します。この組み替え作業を正確かつ効率的に行うには、両方の基準を理解した人材と、適切な会計システム・プロセスの整備が必要です。差異の調整を場当たり的に行うと、誤りや非効率が生じます。組み替えのルールを標準化し、継続的に運用できる仕組みを作ることが、報告の精度と効率を高めます。
対応の選択肢としては、現地に会計の専門人材を配置する、会計事務所などの外部専門家を活用する、本社と現地で連携した報告プロセスを構築する、といった組み合わせが考えられます。立ち上げ期は外部委託を活用しつつ、事業の拡大に応じて内製化を進めるのが現実的です。重要なのは、会計を単なる「記帳」と捉えず、本社の経営判断に資する正確な財務情報を、適時に提供できる体制を構築することです。会計基準の差異への対応力は、グループ経営の質を支える基盤となります。会計は、過去の記録であると同時に、未来の意思決定を支える情報でもあるのです。
IFRS移行への準備 ― 早く動く企業の優位
IFRSへの移行が中長期の方向性として示されている以上、その流れを見据えた準備は、早く動く企業に優位をもたらします。IFRSベースの財務報告には、公正価値評価、減損の見積もり、詳細な開示といった、VASとは異なる実務が伴います。これらに対応できる人材の育成、会計システムの整備、社内プロセスの構築には時間がかかります。移行が義務化されてから慌てて対応するのではなく、任意適用が可能な段階から準備を進めることで、円滑な移行と、報告の質の向上を実現できます。
本社がすでにIFRSや日本基準で連結している企業にとっては、現地のIFRS適用が進むことは、組み替え調整の負担軽減というメリットをもたらします。現地法人がIFRSベースで報告できれば、本社連結のための差異調整が簡素化され、報告の効率と正確性が高まります。IFRS移行を、コンプライアンス上の負担としてだけでなく、グループの財務報告体制を高度化し、経営の透明性を高める機会として捉えることが、前向きな対応につながります。会計基準の進化に先んじて備える企業が、変化を競争優位に転換できるのです。
日本企業への示唆とまとめ
ベトナムの会計は、独自のVASと、IFRSへの段階的移行という二つの軸で動いています。進出企業は、VASに基づく現地報告と本社基準への組み替えという二重対応を求められ、M&Aの買い手は、VAS財務諸表の背後にある経済的実態を見極める必要があります。会計基準の差異は、連結報告の精度、バリュエーション、財務管理体制のすべてに影響します。IFRS移行の流れを見据え、両基準を理解した体制を早期に整えることが、グループ経営の質を高めます。Solaraは、会計基準の差異分析、財務デューデリジェンス、連結報告体制の構築まで、ベトナムでの財務・会計実務を支援します。



